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盛岡地方裁判所遠野支部 昭和49年(タ)6号 判決 1977年1月26日

原告 大槻良枝(仮名)

被告 大槻利夫(仮名) 外二名

主文

1  原告と被告大槻利夫とを離婚する。

2  原告と被告大槻利夫との間の子大槻博子(昭和四八年三月二八日生)の親権者を被告大槻利夫と定める。

3  被告らは原告に対し連帯して金一〇〇万円およびこれに対する昭和四九年一一月一二日から完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

4  原告その余の請求を棄却する。

5  訴訟費用は四分し、その一を原告の負担とし、その余を被告らの連帯負担とする。

6  この判決の主文3については仮りに執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、主文1、2同旨ならびに「被告らは原告に対し連帯して金八〇〇万円およびこれに対する訴状送達の翌日から完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの連帯負担とする」との判決、および金員支払部分につき仮執行宣言を求め、請求原因として次のように述べた。

1  原告と被告大槻利夫とは昭和四六年一二月一八日見合による結婚式を挙げ翌四七年一月一〇日婚姻届を了した夫婦であつて同人ら間に長女博子(昭和四八年三月二八日生)がある。

2  被告利夫は○○○○○○○○○○に勤務しており、原告は家庭の主婦であるが、被告大槻和利、同大槻ヤスエは同被告の両親であり、原告らが結婚した当初から同居し共同生活を営んでいたものである。

ところで原告らは見合結婚であつたせいもあつて被告利夫は当初から原告に対する愛情が薄く、他人行儀でしつくりいかず、一方、しゆうととしゆうとめに当る被告和利、同ヤスエはいわゆる嫁いびりに生きがいを感じ、原告に対し何かにつけて文句をつける口実を見つけることに躍起となり、例えば原告が部屋を歩くと、歩き方が悪い、静かに歩けとか、掃除がきたないとか、料理を作るのが下手だとか、洗濯の仕方が悪いとか、一々日常動作にけちをつけ大声で悪口を云い、更に家族との食事も差別し食物を制限する有様であつた。このことは原告が結婚した当初から始まつたものであるが、このため原告はやせ衰え、将来の生活に不安を感ずるようになつたが、一時的なものと考え我慢を重ねて来た。しかしこの状態は逆に悪化し、原告の悪口を世間に云い振らし、また、子供が生まれてからは益々ひどくなり、この嫁は大槻家の家風に合わないからすぐ出て行け呼ばわりをするようになつた。一方夫である被告利夫は右両名が原告に辛く当るのを見ながら知らぬ振りをして原告をかばおうとせず、かえつて両親と同調し、「お前は馬鹿だ、この家庭が気に食わなかつたなら出て行け」と夫婦らしからぬ言動を示した。このようなことが連日続いたため原告は精神的、肉体的にも疲労し、遂に居たたまれず、家を出ることを決意し昭和四九年二月長女を連れて実家の川崎洋一方へ身を寄せた。

3  ところが、同年四月下旬被告利夫は原告を訪れ、俺が悪かつた父母と別居することにしたから家へ戻つてくれと懇願したので原告も承諾したが、その際、同被告は子供を一寸貸してくれ、その辺を散歩してくると言うので信用して手渡したところ、夕方になつても戻らないので不審に思い、同被告に問い合わせたところ、同被告は子供は渡さない、お前は家に戻るな、と前言をひるがえして取りつくしまも与えなかつた。そこで原告はこれ以上同被告との結婚生活を継続することが不可能と判断し、離婚を決意し昭和四九年五月盛岡家庭裁判所遠野支部に対し離婚調停の申立を行つた。

しかし、同被告の不誠実により不調に終つた。

4  以上被告らの行為により原告は妻たる権利、人格権、名誉権の侵害を受けた。被告利夫の行為は民法七七〇条一項二号(悪意の遺棄)、五号(婚姻を継続しがたい重大な事由)、七一九条、七〇九条(共同不法行為)に該当し、また、被告和利、同ヤスエの行為は民法七一九条、七〇九条(共同不法行為)に該当する。原告の受けた精神的苦痛は大きい。

5  被告利夫は月収手取り一二万円を下らないし、被告和利は貸家アパート営業により月収三〇万円を下らないうえ時価約一億円以上の不動産の資産を有している。

6  よつて原告は被告利夫に対し請求の趣旨記載の離婚を求め、さらに被告三名に対し慰藉料の支払いを求める。

被告ら訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、答弁ならびに主張として次のように述べた。

1  請求原因1は認める。同2中、被告利夫が○○○○○○○○に勤務していること、原告は家庭の主婦であつたこと、被告和利同ヤスエは被告利夫の両親で原告のしゆうととしゆうとめにあたること、結婚当初から原告らと同居し共同生活を営んでいたこと、原告が昭和四九年二月一三日長女を連れて実家川崎洋一方に身を寄せたことを認め、その余は否認する。同3中、被告利夫が子供を連れて帰つたこと、調停不調の事実を認め、その余は否認する。同4は争う。同5は否認する。同6は争う。

2  原告は気儘な性格で大槻の家庭になじまず、原告を家庭の良き主婦たらしめんとする姑などの忠告に耳を傾けず、かえつてこれに反抗し、家を飛び出して実家の川崎家に帰り、実家の両親、祖母などから婚家の大槻の家に戻るように説得されたがこれを聞き入れず東京に飛び出したもので、大槻・川崎両家族および仲人などの低姿勢な説得の試みがかえつて原告を勝手気儘な振舞いに助長したものである。

3  被告利夫は、原告が家を飛び出すや川崎の実家に赴き原告に大槻の家に戻るよう説得を試みたり、また娘博子を連れ去れば原告も戻るだろうと言うことから川崎の家族の承諾を得て右博子を大槻の家に連れ戻つたり、原告が東京に飛び出したという川崎の家からの知らせを受けるや上京して説得を試みたりしたもので決して原告を遺棄していない。

4  被告和利同ヤスエは息子の嫁そして孫との生活が楽しみであつたところ、原告が「姑らと一緒の食事では腹一杯食べれない」ということなのでやむなく食事を分離したり、原告が大槻の家を飛び出すや川崎の家に行つて戻るよう試みたりして明るい円満な家庭を望んだもので、嫁いびりに生きがいを感じたり、文句をつける口実を見つけることに躍起になつたり、食べ物を制限してやせ衰えさせたり、嫁の悪口を世間に言い振らしたりなど決してしていない。被告らは原告の妻たる権利、人格権、名誉権を決して侵害していない。

証拠として、原告訴訟代理人は甲第一、二、三号証を提出し、証人太田誠、同太田ヨシノ、同川崎洋一、同杉本忠の各証言および原告本人尋問の結果を援用し、乙号各証の成立を不知とした。被告ら訴訟代理人は乙第一、二号証の各一、二を提出し、証人青木宏、同大槻ヒサ子の各証言および被告ら本人尋問の結果を援用し、甲号各証の成立を認めた。

理由

1  原告と被告利夫とは昭和四六年一二月一八日見合結婚し、昭和四七年一月一〇日婚姻届を出し、以後同被告の両親である被告和利同ヤスエらと同居して結婚生活に入つたこと、そして昭和四八年三月二八日長女博子が出生したこと、被告利夫は○○○○○○○○○○に勤務しており、原告は家庭の主婦として生活していたが、原告は昭和四九年二月一三日長女を連れて実家である川崎洋一方に行つたが、それ以来現在まで被告方に戻らず別居するに至つていることその間昭和四八年四月に被告利夫が原告のもとから長女を連れて帰り、長女は現在被告ら方において養育されていることについては当事者間に争いがない。

2  証人川崎洋一の証言によつて真正に成立したものと認められる乙号各証、同証言、証人太田誠、同太田ヨシノ、同杉本忠、同青木宏、同大槻ヒサ子の各証言および原告被告ら本人尋問の結果によれば、右争いのない事実のほか、次の事実を認めることができる。原告は結婚後被告利夫が出勤してからはしゆうととしゆうとめにあたる被告和利同ヤスエと一緒に過ごすことが多く、特に被告ヤスエに教わりながら家事一般に従事していたわけであるが、その際被告らは原告の些細な行動にも必要以上の注意を与えたりあるいは叱りつけたりしていわゆる嫁いびりをするようになつた。その主な例は次のとおりである。(一)原告が被告ヤスエにいわれて食事後の茶碗を片付けようとしたら被告和利から「人が食べているとき片付ける者があるか」と叱りつけられた、(二)被告ヤスエから「ご飯を食べるときの口のあけ方が悪いとか箸のもち方が悪い」と叱られた、(三)原告が仏壇を手を叩いておがんだとき被告和利からきつく叱られたので階段をかけあがつたらその歩き方が悪いとさらに叱られた、(四)原告が掃除していたら被告ヤスエが「こう掃くものだ」と大声で怒鳴つて原告から箒を取り上げたり、原告が桟の掃除をしていたら被告ヤスエが「そんな雑巾でふく人があるか」と雑巾を投げつけたりした、(五)被告ヤスエから「しゆうとより先に御飯を食べてはだめだ」と叱られたり、茶碗むしにさつまいもを入れたのが悪いときつく叱られたりした、(六)被告利夫が出張で留守のとき原告が実家に帰りたいといつたら被告和利が「しゆうとの許可を得ないで帰る者があるか、そんなに行きたかつたら連れて行くからあべ(行こう)」といつて原告の手を引張つたりした、(七)ある夏の暑い日原告が子供を抱いて日陰にいたとき隣の×××屋さんが「クーラーがあるから入つて休みなさい」といつたので原告が×××屋の中に入つて五分ぐらい雑談し、呼ばれたので家に帰つたところ被告ヤスエが「父ちやんが御飯を食べないで出て行つた、お前は俺を好かないんだべ、出て行け」と叱りつけた、(八)ある冬の日戸外で煉炭をおこしていたら被告和利が「雪の中で煉炭をおこしている、お前はまともなところが一つもない」と怒鳴つた、以上のとおりである。そしてこの間原告は被告利夫に対し自分と被告和利同ヤスエ間をとりもつてくれるよう頼んでも被告利夫は何ら誠意を見せずとりあつてくれなかつた。昭和四九年二月一三日原告は被告らと同居するのに堪えられないと感じ、実家の弟の子供の誕生祝で実家に帰つた際、「以後婚家先には帰らない」と表明し、子供とともに実家の川崎洋一方に居坐つてしまつた。同月二一日被告利夫が迎えに行くという連絡があるや、原告は子供を連れて東京の姉宅に逃げてしまい、さらに被告利夫が東京へ迎えに行つた際にも「両親と別居するのでなければ帰らない」と被告利夫との同道を拒否した。その後原告は実家に帰つてからもあくまで被告らのもとへ帰ることを拒み、実家の近くに部屋を借りて子供と二人で住むようになつた。同年四月被告利夫が原告方を訪れ「ちよつと子供を抱かせてくれ」というので原告が子供を同被告に渡すや、同被告は原告の知らない間に子供を自動車に乗せて自宅に帰つてしまつた。ここにいたつて原告は被告利夫との離婚を決意し、同年五月盛岡家庭裁判所遠野支部へ離婚調停を申立てた。その何度目かの調停の席上調停委員から原告が着替程度の衣類を被告ら方から持ち出すことは差支えないであろうといわれたことから同年九月原告は父洋一や弟宏司や親せき計七、八名とともに自動車四、五台をつらねて被告ら方に赴いた。被告和利同利夫はあまり大勢の者が押しかけたのに驚き、原告の父洋一が玄関の扉をあけて入ろうとするのを制止し、原告の手を引張つて原告だけを屋内に入れて扉に施錠してしまい、そして原告が二階に上がつて箪笥から衣類を持ち出そうとするや、それに原告の衣替だけではなくその他の物もまじつていたため被告和利同利夫はこもごも原告の身体に手をかけたり、髪を引張るなどの暴行を加えたため、原告は「助けてくれ」と大声をあげて階段を駈け降り、素足のままで戸外に出た。戸外で待機していた洋一と宏司は被告ら方の玄関内に入つたところ、被告和利から「家宅侵入だ」などといわれたため同被告と洋一との間でしばし口論がなされるにいたつた。その後調停も不調になり原告は千葉県方面に就職して居住することになり、川崎家と被告らとの話し合いも絶たれて現在にいたつている。以上の事実が認められ、これに反する証人大槻ヒサ子の証言および被告ら本人尋問の結果の一部はにわかに措信できない。

3  以上のとおりの事実に徴すれば、原告と被告利夫との婚姻には民法七七〇条一項五号所定の婚姻を継続し難い重大な事由が存するというべきであるから原告と同被告とを離婚するのが相当と認められる。そして、原告と同被告との間の長女博子(昭和四八年三月二八日生)は現在被告らのもとで育てられ、原告は現在単身千葉県方面に就職し、会社の寮に居住しており落着いたら子供を引きとりたい意思はあるものの、弁論の全趣旨によればこれも積極的なものではないものと認められ、彼此諸般の事情を考慮すれば博子の親権者を被告利夫と定めるのが相当である。

4  次に、慰藉料請求について判断する。原告と被告利夫との婚姻生活は結局二年数ヶ月で破綻したわけであるが、前叙の認定事実を婚姻に関する民法の精神および健全な社会通念等にてらして評価すれば、原告らの婚姻破綻の原因は結局原告および被告ら双方に存するが、やはり被告側就中被告和利同ヤスエの原告に対する言動即ち俗にいう「嫁いびり」にあるものと断定せざるを得ない。たしかに同被告らも好んで原告に対し嫁いびりをしたものかどうかは証拠上明らかではなく、多分に息子の若い嫁を指導していくという意思のもとで原告に対しいろいろ働きかけをしたものであつたことはうかがわれるが、それにしてもいまだ年若き原告が長男の嫁としてしゆうとやしゆうとめのもとで暮らすという独特な環境の中できびしい精神的圧迫をうけるということがきわめて明瞭であるにもかかわらず、このような原告の立場を同被告らは充分理解せず暖かい思いやりを欠いていたことは明らかである。たしかに、原告もしゆうとやしゆうとめと同居する前提でその長男のもとへ嫁いで来たのであるから多少のことは我慢すべきであつたといい得るがその反面多少の嫁いびりを覚悟していた原告でさえもそれに堪えられなくなつたということは、むしろ被告和利同ヤスエらの嫁いびりがかなりひどかつたのではないかという推測を可能にするものである。しかし、原告としても我儘な点があつたこともいなめない。原告には何か困難な場面につきあたればすぐ実家の援助を乞おうとする態度がみられ、しゆうとやしゆうとめの言動に対してもむしろ年寄を憐れむという気持からもつと度量のある態度で応ずべきではなかつたかとも考えられる。だが何しろ未だ年若くしかも一般に嫁がしゆうとやしゆうとめに仕えるという風潮がなくそのような教育の施されることのない現代であつてみれば、原告にしゆうとやしゆうとめに対する心構えをあまりきびしく求めることは酷であるといわなければならない。現代において夫婦と夫の両親が同居するという家庭においては、嫁の方よりむしろ夫の両親の方が息子の嫁と仲良くやつていくことにより細心な神経を使うべきであり、昔のように単にしゆうとやしゆうとめとしての立場から嫁を指導していけばよいというものではないというべきである。川崎証言の中に、被告ヤスエが同証人に対して語つたことばとして「自分はしゆうとめにつらくあたられ炬燵やぐらをひつくり返えされたこともあるが、それからみればあなたの娘はそんなことをされないだけでもいい」ということが述べられているが、もしこのことが真実なら被告ヤスエのとんでもない時代錯誤的感覚であるといえよう。現代の家庭は夫婦と子供を単位としたいわゆる核家族型態が原則であつて夫婦が夫や妻の両親と同居するということはむしろ異例である。わが国の家庭型態がこのような変遷をたどつて来たのは、いうまでもなく過去の家を中心とした封建的な家族制度を打破することにあつたわけであるが、それに加えていわゆるしゆうとやしゆうとめの嫁いびりが妻の人権を侵害して来たと考えられたからにほかならない。夫の両親が息子夫婦と同居するという家庭型態は、夫婦が共稼ぎとかいうような特別の事情のある場合は別として普通の勤め人の家庭にとつては、夫の両親の側により多くの利益があり、夫婦の側にはそれほど利益がないのが通常である。そうであるならば、その利益を多く享受するしゆうとやしゆうとめの方こそ息子夫婦と仲良くやつていくようより多くの努力をするのが当然である。本件の被告和利同ヤスエにこのような現代的家庭型態に対する感覚が欠けていたことはいなめない事実である。また被告利夫にしても、原告の前叙のような悩みを始終打ち明けられていながら、積極的に妻と両親との間に立つてその調整をはかろうともせず、またその能力にも欠け、自らは原告に対し一応愛情はもつてはいたものの、いかんせんその消極的で優柔不断な性格から全くなすべきすべを知らなかつたというべきである。

さらに、前叙の事実によると被告利夫が長女博子を原告のもとから連れ去つた際の状況は甚だ穏当を欠くといわなければならない。なるほどあの場合、同被告が原告に対し子供を連れて行くといつても原告が承知しないであろうことは明らかであるが、いつたん前叙のような形の別居となつてしまつた以上、被告利夫が子の引渡しを要求するには、さらに原告と話し合うとか、あるいは家裁の調停を申し立てるなどの措置を講ずるのが相当であつて、仮りに同被告が原告の実家の者に断つて子供を連れて行つたとしても、原告の同意を得ていない限り無意味であつて、いかに子供の父親であつても、前叙のような事情のもとで母親の知らない間に(なお本件証拠によれば同被告にはじめから原告をだまして子供を連れ去うとしたのではないかという疑いがもたれる)子供を連れ去るということはいささか人間性にもとる非難すべき行為であるといわざるを得ない。川崎証言によれば子供を連れ去られたことにより原告が「気違いのようになつた」ということであるが、この被告利夫の行為が原告に与えた精神的打撃はまさに想像に余りある。そして原告が正式に離婚を決意した直接の原因はまさに同被告の右行為にあつたものと認められる。

また、原告が衣類を取りに来たときの状況についてであるが、前叙の事実に徴すれば、被告和利同利夫らの原告に対する行為は明らかに度を超えており不穏当なものであつたと評せざるを得ない。たしかに同被告らも原告が父洋一ら一族の者数人と自動車数台をつらねてやつて来たことに怒りを覚えたことは一応うなずけるとしても同人らが近寄ることのできない二階の一室において殆ど無抵抗の原告に対し同被告らが暴力を行使するということは明らかに不当であつて、原告に対する精神的打撃をさらに大ならしめたものといわなければならない。

5  以上の諸点を綜合的に斟酌すれば、本件離婚につき前叙のとおり原告にも一端の責任が存するとしても、なお被告らの責に帰すべき事由の程度が大なるものと認められ、さらに、その他前叙のような子供を連れ去つたときの事情および衣類をとりに来たときの事情などを考慮すれば、原告の蒙つた一連の精神的苦痛に対し被告らにつき共同不法行為が成立し、なにがしの慰藉料を支払うべき義務が発生するといわなければならない。そしてその額は一〇〇万円をもつて相当とし、被告らにおいてこれを連帯して原告に対し支払うべきものと認める。なお右金員に対する遅延損害金の起算日は記録によつて明らかな本件訴状が被告らに到達した日の翌日である昭和四九年一一月一二日とすべきである。

6  よつて原告の本件請求は、右の限度において理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用につき民訴法八九条、九二条本文、九三条但書を、仮執行宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 穴澤成已)

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